習慣の弊害

 隠居生活に入ってずいぶんとときが経つのに、なにをやっているわけでもないのに、時間足りない状況が続いている。

 原因のひとつがわかってきた。それはテレビ。仕事に就いていたころはほとんどテレビを見なかった。セミリタイアとともに少しづつ見るようになった。完全リタイアすると一気に増えてきた。が、これは就業の有無とは大きな関係はなさそう。テレビを見ることによってテレビの面白さがわかってきたことによる。見るのはほとんどBSの番組。それも録画して見ることが多い。録画再生が見たい時に見ることができ、CMなどを早送りして見ることができることに利点を感じているからだ。

 それはよいのだが、最近習慣的に見る番組が増えてきたような気がする。いや、これはテレビだけでなく、ネット徘徊についても同様だ。

 どうも個人的な性格の問題のような気がする。いろいろなことを習慣化してしまう癖がある。つまりやることに定常化。同じことをこなしていかないと気が済まない性格。どうでもいいこと、やらなくてもいいとわかっていることでも、それが習慣化していると、やらずには気が済まない性格。几帳面というか律儀というか融通が利かないというか、やや自分自身でもやや迷惑な性格である。

 習慣化ということまだ聞こえがよいのだが、いってしまえば「惰性」である。特に面白いとも思わないのに惰性で見続けているテレビ番組やネットサイトがたくさんある。99%はつまらないが1%の期待を持って見ている、ということもある。

 だけどねえ、時間が足りないのだから1%は諦めて、これらに費やしている時間をほかに回したほうがよいに決まっている。

 決まってはいるけれど、習慣化しているものを止めるにはそう簡単ではない。なんだろうな、この性格は? と、ひとごとではないのだが。