すでに死んだ人

 既に死んだ人を不憫に思う。死んだ人の年齢ではない。死んだときの暦である。私より先に死んだ人、つまり、現在より前に死んだ人が不憫でならない。たとえ、九十、百まで生き、大往生した人であっても、すでに亡くなっているということで、不憫に思う。〝人間、死んだらおしまいよ〟という事態が不憫でならない。どんなに幸せな生を謳歌したひとであっても、いまここにいない、ということだけで不憫に思ってしまう。

 なんだか、よくわからないが、突然こんなことを思いついてしまった。

 ぼちぼち鬼籍に入りかけている、わたしの生への未練なのだろうか。こんなことを考えていると、なんか、いままでに経験の無い変な気持ちになってくる。