続 新暦・旧暦

 前回は旧暦礼賛したのだが、よくよく考えてみれば、旧暦というのは月の満ち欠けにもどづいた暦なので、新暦太陽暦に比べて、季節性には乏しいと思われる。

 農業、漁業など一次産業にとって、季節は重要なのだが、それを旧暦でやっていて不都合はなかったのだろうか。で、完全な想像なのだが、旧暦とは別に、太陽暦らしきものがあったのではなかろうか。どこかの家系にそんなものが秘伝として伝わっていたのではなかろうか。その特権を活かして、その太陽暦もどきを毎年毎年の公式な暦(旧暦)に当てはめていく。そんな特権家系があったのではなかろうか。

 聞き及ぶところによれば旧暦において、大の月、小の月というのは毎年変わり、また、閏月があったりなかったり、その閏月が挟まる場所も一定していなかったそうな。それを幕府天文方だかなんだかが、決めてお達しを出していたとか。それと同じように太陽暦(もどき)にもとづく年中行事を旧暦に当てはめた日付をだれかが公表していたのではなかろうか。

 まあ、江戸時代の数学は思いのほか発達しており、それくらいのことはできそうな気がする。

 気になるのは、江戸時代以前。それ以前の元号と西暦の対応はちゃんと取れていたのだろうか。平安遷都はほんとうに 794年だったのだろうか? 気にしだしたらますますわからなくなってくる。年号やら暦日は全国で統一がとれていたのだろうか?