夏の終わり

 ミンミンゼミに代わってツクツクホウシが鳴き始めた。ときおり、単独ヒグラシの高い声が交じっている。

 まだまだ、残暑は厳しいが、確実に季節が巡っているということだろう。やがて、夏も終わり、秋がやってくる。

 海水浴場の海の家の解体もはじまるだろう。ひとが減り、海が自然に帰っていく。

 冬から春、春から夏、夏から秋、秋から冬、と季節は巡るが、このなかで、季節の終わりを意識するのは、夏だけではないだろうか。夏が終わり、秋が来る。ほかの季節は、新しい季節の始まりしか意識されない。たとえば。冬から春の変わり目では、冬の終わりは意識されず、春の訪れだけが意識される。

 夏の終わりと、秋の始まりは別物である。夏の終わりは、終わりであって、秋の始まりではない。終わりを意識するということは、それだけ夏の盛りが強烈だということなのだろう。太陽のパワーに完膚無きまでに圧倒されていたのが夏である。太陽パワーの衰えにより、人間や動植物が自立を取り戻す。やれやれ、といった気持ちと共に、圧倒的だった太陽パワーの衰えになにやら寂寥感のようなものも感じてしまう。それが夏の終わりである。この感覚はほかの季節の変わり目にはない。