来迎

 仏教の世界では、ひとは死ぬと、雲に乗った仏様たちの奏でる妙なるBGMを聴きながら、観音菩薩勢至菩薩を従えた阿弥陀如来に導かれ、あの世に旅立つと言われている。これを来迎という。おそらくはものすごく甘美なひとときであろう。

 そのひとときなのだが、死に際して、いままさに自分が死につつあることを認識できれば、この世の意識として来迎を味わうことができそうだ。これはなんとしても経験してみたい。

 だがおそらくは、ひとは自分では気がつかないうちに死んでしまうのだろう。眠りについたまま、そのまま目覚めなかった。起きるつもりで寝たのに、二度と起きることができなかった。気がついたら死んでいた。いや、死んだことすら本人は知らないのだ。死とはそんなものではなかろうか。

 そうだとすると、残念ながら、この世の意識として来迎を経験することができない。あの世の意識がどんなものか、いや、多分そんなものはないだろうから、結局は妙なる音楽を聴くことはできないのだろう。残念なり。