高齢化

 高齢化社会といわれている。確かに六十五歳以上の高齢者の割合が高くなっている。今後ますます高くなっていくだろう。

 なぜそうなるのか。ひとつは出生数が減り、相対的に高齢者の比率が高くなるから。もうひとつは、寿命が伸び、歳をとってもなかなか死ななくなったことによる。

 前者はさておき、後者をみるとちょっと問題がある。確かに六十五歳以上の人口はあまり減らずに、相対的に高い比率を示している。

 だが、ここに大きな落とし穴がある。それは六十五歳というのが果たして高齢者なのか、ということ。高齢者となる年齢を固定すれば、寿命が延びれば自然に高齢者の比率は増えることになる。ところで、伸びたのは寿命だけなのだろうか。そうではない、健康状態も改善されているのだ。七十でも八十でも昔に比べればはるかに元気になっている。であれば、六十五を高齢者と呼ばなければよい。

 では、どうするか。逆に、比率で高齢者の年齢を決める手もある。たとえば、人口比で15%とか20%となる境目の年齢を高齢者の境界とする見方もある。そうすれば、当たり前だが、高齢者比率の高いトップヘビーの高齢化社会にはならない。

 むろん、社会のあり方も変えなければならない。高齢者以前のひとは、まだ社会的に貢献しなければならない。簡単にいってしまえば、定年の延長、隠居年齢の引き上げである。

 ということになると上記は正論のように思えるのだが、いっぽうで、一刻も早く完全隠居を果たしたい、というわが願望と相容れなくなってしまう。困ったものだ。