百回

 月に1回として、不測の事態も考慮して年に10回。まあ、あと10年くらいはなんとかなるだろうから、全部で百回。

 つまり、これからなにかまとまったことを始めようか、と考える場合、ひとつの目安は〝百回でそれなりにまとまるか否か〟であろう。

 百回でなんとかそれなりのまとまりがつきそうなら着手、そうでなければ、今生には間に合わない、ということで残念ながら、見送りもしくは規模縮小、ということに。

 こんなことを考えるのはなんともわびしいが、これが老境の現実というものであろう。

 〝あと千回の晩餐〟といった山田風太郎の気持ちがわかるようになってきた。なお、これは夕食のことなので毎日のこと。一年365日なので、おおよそ三年といったところ。三年とはかなりせっぱ詰まった状況ですね。わたしにはまだ二十年はありそうで、前半の十年はまあまともにいけそうだと思っている。これがはずれるとかなり悲惨なことになりそうだが
、そこまで考えるとなにもできなくなってしまう。なので、とりあえずは、前半の十年を一つの区切りとして考えてみることにする。

 おっとっと、実はこの十年、すでに二三年が過ぎてしまっている。おちおちしてはいられない。