死ぬのが悔しい

 還暦も過ぎ、まあ、まっとうなところあと二十年ほどの命だろう。

 もっと短いかもしれないが、そのときは運がなかったと諦めるしかない。あるいは、もっと長いかもしれないが、二十年過ぎれば頭のほうが健全ではなくなってしまうだろうから、その先のことは我がことではないかもしれない。そんなこんなで、まあ、あと二十年で我が人生を締めくくれるよう計画するのが妥当だと思っている。

 なのだが、そうなると未練が残る。この先の世の中の変遷を見届けることができないのが悔しい。五十年、百年で世の中、コロッと変わってしまうことだろう。五十年前、百年前の世の中と現在とを比べる以上の変化が生じていることだろう。

 変わった世の中に身を置いて暮らせなくともかまわない。ただただ、どんな世の中になるのか眺めるだけでよい。

 そのときにどう思うか。その、新しい世の中で暮らせなかったことが悔やまれるような世の中になっているだろうか。そうであってほしい。こんな世の中に生きていなくて良かった、と思われる世の中にはなって欲しくない。

 そんな世の中で、我が子や孫、ひ孫(まだ存在しませんが)たちがどう暮らしているのか。それは見たいようにもあり、見たくないようでもあり。

 もし、不死の命を手に入れたらどうなるだろう。それはそれでかなり辛いかもしれない。死ぬ悔しさと比べてどうなんだろう。まあ、考えても仕方のないことではあるけれど。