年寄り自慢

 年寄りが集まると、往々にして若さの競い合い、若さ自慢がはじまる。る。毛があるだの無いだの、黒いだの白いだの。歩けるだの、走れるだの。眼鏡が要るだの要らぬだの。自動車を運転できるだの免許を返上しただの。さらにはあちらの具合とか。まだ、現役で働いているだのいないだのは、若さ以外の要素が多々なので除外しなければならないが。年寄り同士が若さを自慢する。

 ところが、ことに若者が加わってくると、若さ自慢は一気にかげってしまう。そりゃそうだ。どんなに見栄を張っても本物の若者には叶わない。

 代わってでてくるのが年寄り自慢。一転して年寄り同士タッグを組んで昔の話、若者にはわからない話を始める。ここに都電の停留所があって……。東京オリンピックで誰それがなにそれして……。大阪万博では同級生がコンパニオンになって……。「どうだ、若者よ。そんなこと知らんだろう」と若者を仲間はずれにして溜飲を下げる。ただ、その昔に生存していて、その頃の記憶があるというだけで、取り立てて自慢できるものではないのだが、自慢っぽく話してしまう。

 老化を逆手に取った一種の居直りかもしれないが、まあそれはそれで構わないだろう。無用の卑下よりは健全かもしれない。それくらいのたくましさがあったほうが良いのかもしれない。

 若さ自慢にしろ年寄り自慢にしろ、まだ枯れきっていない、生々しさの漂う年寄りの話ですね。年寄り界のはな垂れ小僧である。それもまたよし。

 悟ったひとはそもそも自慢などしないもんだが、はたしてそれで面白いかどうか。悟ったことがないのでわかりませぬ。