友が皆……

 この秋に満六十歳を迎えた。同級生たちも皆、この三月までに六十になる。定年退職するひとも続々と現れる。もうしばらく仕事を続けるひともいる。

 その動静を聞いているうちに気分が落ち込んでくる。

 私自身、人一倍隠居生活にあこがれ、他に事情があったものの、定年を待ちきれずに五十七で一足早く自主定年を迎えた。ところが、蓄えが十分でなかったり、年金額が予想より遙かに低かったり、あるいはごくわずかながらの貴重な蓄えがこの不況で半減してしまったりで、さんざんな思いをしている。一旦はじめた隠居生活を棚上げしてまた賃労働を復活せざるを得なくなってしまった。むろん低賃金の仕事である。

 一方で定年を迎えた友人たちは、そのほとんどが俗に言う勝ち組。それなりの大企業でそれなりの地位についていた人ばかり。収入比例の厚生年金なんてどれだけもらっているのだろう。それだけで十分暮らしていける位貰っていることは間違いないだろう(もっとも彼らは生活レベルも高いのでその自覚はないかもしれないが)。また、生活のことは心配せずに使える退職金やら蓄えも盛大に手にしていることだろう。

 彼らは当然、仕事第一で現役時代を走ってきた。わたしは彼らを冷ややかな目で見ていた。もっと、自分を大切にすればよいのに、と思いながら。

 が、定年となる年齢を迎える段になって、立場が完全に逆転してしまった。彼らはなんの憂いもなく老後の生活を迎えることができる。いっぽう、わたしは生活費の心配は一考に解消せず不安が募るばかり。隠居の楽しみはずっと棚上げ状態。定年退職者から人生を謳歌するたよりが届くいっぽうで、なさけないことに毎日ハローワークのサイトをのぞいているわたしがいる。安い賃金なのに、気の休まらない仕事を毎日こなしているわたしがいる。悲しいかな。