完全に受動的

 アナログレコードのデジタル化はポピュラーの部を終了。あしたからはクラシックにとりかかる。見あたらない(あるはずなのに無い)レコードをいろいろ思い出す。少なくない枚数だ。一体どこへ消えてしまったのだろう。

 きょうも相変わらず寒い。風が強く時おり雨もぱらつく。なので外出は雨の合間を縫っての町内散歩が精一杯。

 室内ではデジタル化の作業とネット徘徊。創作にはいまだ手が着いていない。そういう能動的なこととは反対に、完全に受動的な一日を過ごすのも心地よさそうな気がしてきた。

 ネット徘徊というのも受動的なように見えるが、どうしてかなり能動的な面もある。まずリンクをクリックするなりしなければ先へ進まない。クリックするにはそれなりの選択、つまり意志が働いている。

 もっと受動的なことといえば、テレビの垂れ流し。普段なら時代劇やらプロ野球、いまなら大相撲。テレビの前にすわってデレッとしているのも気が抜けて気持ちよさそうな気がする。

 もうこの歳なんだから、たまにはそんな時間の過ごしかたをしてもよいだろう。いや、たまではなく、しょっちゅうでも構わないのではなかろうか。

 他人の目は気にすることもなさそう。むしろ問題は本人の自己満足度かも。やっぱりどこかに創作に対する気持が消えずに残っているような気も。それをほったらかし怠惰に時間を費やすことによって自己嫌悪に陥る懸念がある。さて、この自己嫌悪、良いことなのか、余計なことなのか?