遺影と遺体

 小中高と一緒だった友人が他界した。一年半ほど前に癌が見つかった。それを公表し、また、可能な限りの治療を受けると宣言し実行していた。癌が見つかった後もジョギングやゴルフを楽しみ、また、色々な場で幹事を務め、精力的かつ明るく振る舞っていた。

 が、それも束の間、病魔には勝てずとうとう鬼籍に入ってしまった。

 ひとと交わることが大好きだったため、その告別式は盛大だった。何百人ものひとがお別れにやってきた。わたしもまた式に列席したのだが、そのとき、遺影と遺体に接し、妙な感覚に襲われた。

 にこやかで健康的に日焼けした顔の遺影だった。日頃うんちくを語ることが多かった友人のそのころのままの姿である。いままさに、ニコニコ微笑んで語りかけてきそうな感じがする。いまにも、この斎場のある地域について説明をはじめそうな気配を感じた。遺影は生きている。

 そのいっぽうで棺に入った遺体。血の気が引いた白い顔をしている。遺体は動きそうにもなく、口を開きそうにもない。これは本人にはあらず。抜け殻である。

 遺影はずっと見ていたいけれど、遺体はもういい。そんな気持ちになってしまった。

 わたしが死んだ時には、遺体を見て貰いたくない。だから葬儀にはひとを呼んで欲しくない。ひっそりと終わりにしたい。そんな風に思ってしまった。

 まあ、一時的な感想かもしれないが。