極楽は極楽か?
生前の行いの良かった人間は死んでから極楽へ行くといわれている。あるいは、どんなに悪行に手を染めようとも、念仏を唱えれば極楽へ行けるとも言われている。極楽に行けば、毎日なにもせず、ゆったりのんびり過ごすことができる。
でも、でも……。よくよく考えてみれば……、そんな極楽は本当に極楽なのでしょうか? 毎日毎日なにもせず、ひたすらゆったりのんびり暮らすことができる。それはそれで良いのですが……。だけど、それでは好奇心というものが起こりません。向上心も起きません。
わたくし、若い頃は、向上心の存在に懐疑的だったのですが、ここまで人生を経験して、向上心なるものがしっかりと存在することを実感しました。その向上心に従って、向上していくことに喜びを感じることも実感しました。
極楽では、向上心も起きないでしょう。起きたところでどうしようもありません。なにしろ、極楽とは、何もしなくて良いところ、言い換えれば何もできないところなのだから。
また、旺盛な好奇心に応じて調べたり、あえてそのままにしておいたり。好奇心もまた知的な生活の源です。
そうか、極楽は心地よいけれども、知的な要素がないのですね。
現世の苦悩から解放され、ゆったりのんびり暮らせるところ、という意味で極楽は理想の地でしょう。だけど、それは生きているあいだの逃避先としての価値しかないところのような気もしてきました。
いっぽうで、人間死んだらおしまい。死んだらすべてそこでおしまい。それ以上はありません。なので、極楽というのは、あこがれのユートピア、けっしてたどり着くことのないユートピアのような気もします。
そして、たとえ在ったとしてもそれほど楽しいところではなさそうな気がしてきました。
こんなこと言っていると、地獄に行くはめになってしまうかも。それは、嫌だぁ。