暦の話 中締め

 旧暦と言えば太陰暦と思っていたのだが、どうやらこれは間違いのようだ。

 太陰暦というのは「月」の運行に基づいた暦で、新月から新月を一月としている。月の満ち欠け周期の平均は二十九日半。ということは昔からわかっていた。したがって、二十九日の小の月と三十日の大の月を組み合わせれば辻褄があう。大小各六月、計十二月で一年は三百五十四日ほどとなる。

 これを一年とすると、季節と月の関係がどんどんずれていってしまう。これでは暦に基づいて農業を行うことはできない。季節は月の運行ではなく、地球の運行すなわち見た目には太陽の運行に従う。

 冬至から冬至までの日数を数えるといまの一年、ほぼ三百六十五日となる。と、いうことも昔からわかっていた。

 従って、太陰暦太陽暦とでは一年に十一日のずれが生ずる。このずれを調整するために、三十三、四月に一度閏月が設けられた。これを太陰太陽暦という。すなわち、一月は月の満ち欠けで決め、一年は太陽の周期(地球の公転の周期)で決めていた。

 このことは中国では早くから実施されていた。数学の発達したギリシアでもわかっていたことだろう。中国から日本に伝わったのは推古天皇のころ、六百年頃とのこと。

 それなら OK だろう。なにが OK かって。もし、太陰暦でいっていたのなら、西暦と元号との対応が取れないのではないかと心配していたのだ。上記の通りであるならば、六百年以降の歴史は西暦ときちんと対応がついているだろう。六百年以前は、神様の時代だから違っていてもまあ良いだろう。

 さて本題である。季節の行事などは、太陽暦で決めていた。冬至から冬至を二十四等分したのが二十四節季である。立春処暑、白露、秋分寒露霜降立冬小雪、大雪、冬至小寒大寒で二十四。二十四節季のそれぞれをさらに初候、次候、末候と三つに分ければ七十二候となる。これを毎年まいとし太陰太陽暦の旧暦に対応付けていく。これはお上が決めていたそうな。

 現在では、太陽暦を採用しているので例年ほぼ同じ月日で対応がつくのだが、なぜかそうはせず、一旦旧暦に置き換え、さらに新暦に対応づけているようだ。

 なお、正月というのは、季節の行事ではなく、暦の始まりと理解すればよいだろう。だから、新暦、旧暦と二度、正月を祝っても問題ないだろう。

 ちょっとややこしいのが節句。これは(季節すなわち太陽暦ではなく)旧暦の月日で決まっていた。一月七日は人日(七草の節句)、三月三日は上巳(桃の節句)、五月五日は端午(菖蒲の節句)、七月七日は七夕、九月九日は重陽(菊の節句)となる。これらは現在では、新暦上の同月同日とみなしたり、便宜的に一ヶ月遅れの同日にしたりしている。たとえば七夕は七月七日であったり、八月七日であったり。厳密に旧暦を新暦に置き換えることはあまりなされていないようだ。たとえば今年の場合、旧暦の七月七日は八月十三日になるが、七夕をこの日に祝うなんてことはしないようだ。

 とまあ、季節による行事と、暦の日付による行事とのふたとおりがあることがわかった。季節のほうは季節のままに、日付のほうは旧暦/新暦いづれかで。ということで、なんとなくわかった気分。