故人の年齢

 いま、父親の享年と同じである。満年齢で厳密に月数まで数えればまだ少し足らないが、大ざっぱには同じと言って良い。

 いまのわたしの歳で他界してしまった父親の短命を憐れむいっぽうで、私自身いつ死んでもおかしくないとも考えてしまう。複雑な心境だ。

 ところで、故人は歳をとらない。五十で亡くなったひとは五十歳以上にはならない。当たり前ですね。頭で考えればわかりきったことなのだが、感覚的には違和感をおぼえることがある。

 たとえば、漱石漱石が亡くなったのは五十歳。わたしが漱石を読んだのは若い頃。そのころは漱石を老生した大人と見ていた。が、わたしが漱石の没年を越えてすでに十年以上が経つ。当然ながらいまのわたしは、一番歳を取った漱石よりも年上である。だけど、とてもそうは思えない。いまでもなお、漱石のほうが年上の感覚である。

 まあ、それもそうかもしれない。生存者同士では年齢を追い越すことはあり得ないので、死者に対してもその感覚が変わらないのだろう。