封印

 昔から、願をかける時に何かを絶つという行いがあった。満願成就までは何かを我慢する、といったやや精神論的な行いである。絶つものとしては「茶」が最も知られている。願いが叶うまではお茶を一切口にしない。お願いをするんだから自分も我慢する、といった取引なのだろう。

 これとは少し意味合いが異なるが、いまのわたしにも絶っているものがある。願いが叶うまで、とも言えるが少し違うようでもある。端的に言えば、いまそうするのはもったいなく、そのものに対して失礼であるようにも思われる。「絶つ」というよりは「封印」といったほうが適切であろう。

 抽象的過ぎてわかりにくいかも知れないが、なにさほど難しい話ではありませぬ。

 いまにはじまったことではないけれど、このところ精神状態がどうも穏やかではない。鬱々したり、ジメジメしたりでカラっとしない。

 こんな状態で、大好きなバッハの音楽を聴きたくない。聴いてはいけない。聴くことはバッハに対して失礼になる。と言うことでバッハの音楽を封印している。同様に、落語の「唐茄子屋清談」もずっと封印されている。お祝い用に買ったブーブクリコもしまったままだ。

 封印を解くのは心が穏やかになってから。おそらくは完全リタイアを果たし時間・気持ちともにゆったりしてから。またお金の不足を諦め(絶対に他人をねたまない)不満・不安を感じなくなったときだろう。

 もっとも、鬱々した気持ち、ジメジメした気持ちを解きほぐすのに、バロック音楽や落語、上等な酒が有効だということもある。封印などせずに大いに享受すべしとの考えもある。

 だけど、わたしにはこれらはとっておきの宝もの、ご褒美なので、そんなふうに手段としては使いたくない。やっぱり最良の気分のもとでゆったりと堪能したい。その前におっちんでしまってなんのこっちゃ、とならなければよいのだが。