手遅れの連続ばかり

 このところ、忌野清志郎の歌をよくかけている。かつてはビジュアル系という印象しかもたなかったのだが、追憶盤を繰り返し聴いていると、からだにジワジワッとしみこんで来るものを感じた。

 清志郎といい、志ん朝といい、どうして生前にもっと接しておかなかったのだろう。リアルで接することができたのに。悔やまれてならない。貰うように鳴って初めて気がついた年金の少なさも同じか。

 我が人生、手遅れの連続ばかり。

 いっそ気が使いままのほうがよかったのだろうか? それは疑問だな。遅蒔きながらでも、気がついて良かった、ということにしておこう。