厄払い

 ことしは本厄にあたる。当たり前だが昨年は前厄であった。その昨年は人生最悪の惨憺たる年となってしまった。前厄でかほどだとすると、本厄ではどうなるのか。あまり想像したくない。

 信心深いわけではないのだが、落語や書物などを通じて江戸に親しむようになって、風習——世の習いとして神や仏に参ることに風情を感じるようになってきた。

 厄に関しては、満ではなく数え歳での行事なので、本来であればもっと早くお祓いに行くべきであった。数えとなると旧暦が良さそうなので、旧の正月があけたら早々にお参りしようと考えていた。

 が、その時期になってみると、精神的にそれどころではない状態に陥っていた。それどころでない状態そのものが厄のなせるところで一刻も早く取り除くべきなのだろうが、そうはいかない。それもまた敵の思うつぼだったのかも知れないが。

 ここへ来てようやく気持が落ち着いてきたので遅蒔きながらお祓いに出かけることにした。

 行き先は前まえから深川不動と決めていた。東京へ行きたくて仕方のないカミさんがついてくる。

 十一時からの護摩に間に合うように家を出る。一番小さな木札を頂く。方位も悪いと言うことなので厄払いのほかに方位除けも加えて貰う。方位については、わたしのほかに家族三人も悪い方位に当たっていた。もっとも方位は九つしかなく、そのうち四つが悪いのだから、当選確率(?)が高くても不思議はない。

 さて、護摩が始まる。法螺貝に先導され七八人のお坊さんたちの入場。クライマックスでは本堂の中に火が燃え上がり、三台の太鼓が空気を振るわせ、鐘や鈴そして読経の声が異空間を生み出す。体内にいた悪い虫も腹に染み渡る太鼓の響きで追い出されたことだろう。

 「中道」についての説教があったが思い当たるところあり。本人は中道をこころしてきたつもりなれど、真ん中と思っていたところが、実はかなり偏っていたこともあったようだ。後悔先に立たずではあるが。最近、こういった後悔をすることが多くなってきた。

 終わった後、伊せ喜でどぜうを食す。ネギをたっぷりかぶせたまる鍋を堪能する。

 森下まで歩いて引き返し、清澄庭園を回遊。公園を出て深川資料館通りを歩く。店みせの軒先に手作り・手描きの紙製暖簾がかけられすごく楽しい。街角ギャラリーもあり、通り全体がアートであふれている。きわめつけの深川いっぷく堂でコーヒーを頂く。

 清澄白河から大江戸線に乗り、森下、馬喰横山、東日本橋経由という変則ルートでたっぷり居眠りをしながら帰宅。全行程九時間、二万一千歩のお江戸あるき。