クレイジー・ケン・バンドに唄に「金も背丈もないけれど暇がある」という一節がある。これを聞いて“まったくワシのことじゃわい”とニンマリしたことがある。

 しかしよくよく考えてみると少し違っている。金が無いのはまったくその通り。背丈がないのも疑う余地はない。そして暇はある。なら、同じじゃないか。いや、そうじゃない。

 暇はあるけれど十分ではないのだ。あることはあるのだが、足らない。やりたいことを全部やるにはまったく時間が足りない。

 このような状態を“暇がある”というのか“暇がない”というのか? 妙なところでこんがらがってしまった。こんなこと考えるのは“暇”だからだろうか?